
和歌山市広報番組

和歌山市のゲンキな情報をお伝えします!
「ゲンキ 和歌山市」は和歌山市のイベントや旬な話題・情報、
そして和歌山市をゲンキにするために頑張っている市民の方々にスポットをあて、
月曜日から金曜日の朝、お伝えします。
2025年6月25日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
令和7年は太平洋戦争から80年の節目の年です。和歌山市でも1945年7月9日の大空襲でたくさんの方が亡くなられました。今回は戦災遺族会の理事長の田中誠三さんにお話を伺います。
Q. 当時、田中さんはおいくつでいらっしゃいましたか?
9つですね
Q. 7月9日和歌山大空襲の前に空襲を体験されていらっしゃるんですよね
6月22日朝の9時7分、と聞いております。家に直撃弾が落ちたということです。防空壕の側にいたのは姉二人と兄と自分。表の店には母親がおりました。
Q. 空襲だ、というサイレンが鳴って・・・
ある人に言われたらエンジンを切って飛んできていたと。飛行機の音が聞こえない。あっ!と空を見たら小さい丸のような物がだんだんパッパッパと大きくなって、それと共にザーという音で防空壕に飛び込んだ。後は記憶にないです。
生き埋めって、土の中に埋まって苦しくてしんどいと違うか、って聞かれることもあるのですが、段々と意識が失っていく、って、ただそれだけやね。
時間がどれ位経ったか知らんけども。一番最初に気がついたのは小松原5丁目にある大きな天理教の教会の座敷の中でパッと気がついたんやね。それが初めてです。
それから、また気を失って、砂の丸の広場の横の道を通ってる時に、タンカに乗せられてる時に気がついて、でまた、気を失って、今度、気がついた時は今の市役所の横にあった和歌山市民病院の病室に寝かされてましたね。
Q. その後になるんですよね、和歌山大空襲が。
そうですね。7月9日ということは、腰を痛めて歩けなかった自分も歩けるようになってて、本町4丁目のおばの家にやっかいになってた時でしたので、走って逃げることができました。あれはもう、むちゃくちゃ逃げたんやろうね〜。
下から一発も弾も打たないんやから飛行機がものすごく低空に飛んでね、そのB29のお腹の方が下の燃えてる火で赤く染まって、そこから焼夷弾がはじめ一つ火がぽ〜と落ちるんです。ほんで途中から束ねているところの焼夷弾が火がついて、ば〜っと何十発も落ちるという、そういう様を土手から見てたんだよね。
逃げてきたお母さんが子どもと離れたかしてね、その時の声が今だにハッキリ、ものすごく悲しげな声で「いさむや〜」「いさむや〜」呼ぶんですけど、それがいまだに耳についている