和歌山市広報番組
和歌山市のゲンキな情報をお伝えします!
「ゲンキ 和歌山市」は和歌山市のイベントや旬な話題・情報、
そして和歌山市をゲンキにするために頑張っている市民の方々にスポットをあて、
月曜日から金曜日の朝、お伝えします。
2026年5月21日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
知ってるようで知らない和歌山城の歴史について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。


Q: 伏虎像の後ろにある石垣にはいろいろな特徴があるんだよということなんですが、どういった特徴があるんでしょうか。
和歌山城というのは石垣を見てますと、いろんな石材といろんな積み方をした石垣というのが見られて非常にバラエティに富んだ石垣が見えて面白いところなんです。実はこの伏虎像が建っているところが一番分かりやすい場所になります。
Q: 具体的にはどういったところにあるんでしょうか。
まず、伏虎像の後ろ側の虎伏山になるんですが、この斜面に沿って積まれた石垣が和歌山城の立っている虎伏山やその周辺で採れる結晶片岩で積まれた「野面積み」という積み方をした石垣になります。
これは石を岩山から割り出して、そのまま加工せずに積んだ、非常に豪快な積み方をした石垣ということです。 形もバラバラですし、本当に加工せずにすぐにも切り出した割り出した石をパパパパッと多分積んだんだろうなというような、そんな積み方が特徴ですね。
Q: 横を見るときちっと石垣が斜めにピーッと線が入ったようになってるんですが、これはさすがに切ってるんでしょうか。
もしかしたら一部加工はしてるかもしれないですが、角の部分を見てると自然な形をした感じの石が多いので、やっぱりそこまで加工はしてないんじゃないかなと思います。
Q: 他にもありますか?
今度はですね、後ろを振り返っていただくと、一中門という門の跡が見れます。 一番奥には砂岩という友ヶ島とか和泉山脈で採れる、いわゆる加工がしやすい石で積まれた砂岩の「打込みハギ」という石垣があって、その手前にはですね、熊野などで取れる花こう板岩で積まれた「切込みハギ」という積み方が見られます。

Q: 色合いも違いますし、石垣の断面が全く違いますよね。
そうですね。本当に結晶片岩の野面積みから見ると、まさにこの石垣の積み方とか加工度合いが進化している様がこの伏虎像の前に立ってぐるっと見渡すとわかるという、そういうスポットになります。
Q: この真正面に(伏虎像の虎が睨みつけているところに)見えている石垣なんて、機械で切ったんじゃないの?いうぐらい綺麗ですね。
江戸時代も中期頃に積まれたんじゃないかと考えられるんですが、その頃になると石材の加工技術もこの秀長が築いた頃とは格段にレベルも上がっていますので、こういう精密な切り方で積み方っていうのができるようになったんですね。
なぜこんなに一個一個の石が大きいか、というのはちょっとよく分かってないんですが、これは実は二の丸御殿の入り口近く、玄関の近くなので、もしかしたらお殿様が住んでいるような場所に近い、ということで少し綺麗に整えるためにもこんな積み方を採用したのかもしれません。

Q: また、これだけのものができる技術があるんだよということを見せる場所、でもあったのかもわからないですね。
そうですね。藩主紀州徳川家のご威光を外から来た人にお客様とかに見せる役割も担っていたかもしれないですね。
2026年5月20日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
知ってるようで知らない和歌山城の歴史について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q 二の丸広場の一番東側にあります、どーんと見えていますね。「伏虎像」の前に今回はやってきました。この「伏虎像」大きいですよね。
そうですね。この目の前にある「伏虎像」ですが、昭和34年に鉄筋コンクリート造りで作られた、横たわって寝そべっている虎の像になります。

Q 寝そべっているのですが、その眼差しはなかなか鋭いですよね。
目の辺りはかなりくっきりとした迫力がありますね。
Q 今にも動き出すんじゃないかな、というような感じで、近くに行けば行くほど、鼻のあたりやヒゲの描写が繊細でもありますよね。
ヒゲの辺りの描写とかは細かく描いてるなと、私はそんな印象を受けますね。

Q この伏虎像、どうしてこの場所に虎が伏せてるようなものがあるのでしょうか?
本丸や天守閣が築かれていた山が虎伏山という風に呼ばれています。これは遠くから見ると虎が伏せているように見えるからということで名付けられたのですが、それにちなんで大正11年に同じ場所に初代の伏虎像が置かれまして、それが今、二代目が引き続き置かれているというような状況になります。
初代の伏虎像は立っていたのですが、今の二代目の伏虎像が横たわって、まさに伏せたような虎の形になってますので山の由来がよくわかりやすいかな、という風に私も思います。
Q 初代の虎の写真もここにあるのですが、なかなかちょっとほっそりとした虎にも見えますね。
そうですね、初代の伏虎像はなかなか今よりもスリムな形だったようでして、伏せているんじゃなくて立っているのですが、これは和歌山出身の作家である有吉佐和子が書かれた小説「紀ノ川」にもそういう描写があります。
主人公がおばあさんと一緒に和歌山城を訪れた時にこの銅像を見てる話が出てくるのですが、その時銅像は前足と後ろ足が同時に前に出てるという、動物の生態としてありえない形をしていましたので、これおかしいという、不自然さが指摘されている、などですね、ちょっと銅像としては妙な出来になっていたようです。
Q 有吉佐和子の小説「紀ノ川」でも書かれていたんですね。
そうなんです。この中で和歌山城の描写もありますので天守閣の話もありますし、こういった伏虎像もあって、戦前の和歌山城のお城の中の様子を知る上でも大事な資料じゃないかな、と思います。
Q 伏虎像の見えている後ろにある石垣、色々な石が見られる場所と聞いたので、明日また詳しく教えていただけますか?
はい、またよろしくお願い致します。
2026年3月26日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
知ってるようで知らない和歌山城の歴史について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話し伺います。
Q やって参りました「二の丸広場」ですが、ここに看板があります。なんとこの二の丸広場、めちゃくちゃ大きな御殿だったんですね。


そうですね。実際ここで看板に記されている範囲は広場の西側だけなのですが、看板の目の前に大奥と呼ばれるエリアが広がっていた、ということになります。
Q すごいですよね。そして、大奥の広がるところに気になる柵もあるのですが、あれは何なのでしょうか?
漆喰が貼られた池が中に眠っているんですね。それを保護するために柵を立てて囲っている、ということになります。
Q 行ってみましょうか。二の丸広場、どんどんお堀の方に向かっていくと、この漆喰が塗られたという池があるということですが、これはどういうことなんですか?


発掘調査をした結果、実は大奥を描いた絵図にもこういう池っぽいものが描かれていて、おそらく同じものだろうということはわかっているのですが、漆喰を塗ると水が溜まりやすいので、しかも規模的にそんなに大きな池じゃないんですよね。今、ちょっと看板を立てていますが、小さい池なんですけれども橋がかかっていて、上から見るとひょうたんみたいな形をしています。
これは観賞用の金魚などの小魚の寝床として使われていたんじゃないかということで、つまりはここはお殿様が池に金魚とか観賞用の魚を放って、鑑賞して楽しむような池だったという可能性があるということです。
Q 今でしたら水槽ですが、お殿様は漆喰を貼って池を作ってしまった、ということですね。
そうなんですよ。
Q このひょうたんの形の首のくびれた所に橋がかかっていて、その上に立って餌をパッとあげたりとかしていたんでしょうね。
そうかもしれないですね。
Q その場所に今は杭が立ってるんですが、漆喰とか見つかったりしたんですか?
2009年の発掘調査で、きれいに漆喰が貼られた池がすぐこの真下で見つかっておりまして、状態は非常に良かったです。
Q どうして、それを埋めてしまったんですか?見てみたいです。
今後、どうやって整備をしていくかという話がつながっていくのですが、やはり長年、百何十年も土の中に眠っていたものを掘り出して晒してしまうと、漆喰が割れてしまう可能性もありますので、今はまだ保存のために埋め戻しています。
仮にこれを再現する、となると、この上に全く同じようなものを復元したレプリカの漆喰の池を作って、それで皆さんに見てもらうというのは一つ今後の整備のあり方としては考えられるかな、と思っています。
歴史が、この未来にはみんなの前に出てくる、と思うとそれもワクワクしますね。
2026年3月25日
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知ってるようで知らない和歌山城の歴史について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話し伺います。
Q 以前は御橋廊下渡る、というところまで行っていました。今日は御橋廊下を渡りまして西の丸から二の丸の方へ来たところにおります。

御橋廊下を出て階段を降りて右手側にぽっかり空いた屋根のかかった空間があるのですが、これは穴蔵状遺構といいまして、簡単に言いますと江戸時代のいわゆる倉庫、の跡になります。


Q 今は屋根がかかっている状態なのですが昔も屋根はあったのですか?
かつてはこの上に建物が建っていたと考えられますので半地下状の倉庫だったんじゃないかと考えられています。
ここは大奥ですので、二の丸の大奥に勤める女性たちが身の回りの道具とか、もしくはお殿様にとって大事なものとかを保管していた場所だったかも知れないですね。
Q 横に説明が書かれた看板があります。ここに「化石のある和泉砂岩」と書かれていますが、物置としても使われていたし、使われているこの石も何かちょっと気になりますね。
そうですね。こちらで使われている石材が和泉砂岩という、基本的には友ヶ島とか、いわゆる大阪と和歌山の間の和泉山脈などで採れる加工しやすい柔らかい石材ですね。これが和歌山城の石垣でもよく使われているのですが、この砂岩を使ってきれいに積まれているというのが大きな特徴ですね。
Q ここは化石は見ることはできるんですか?
この中では化石はちょっと見当たらないのですが、隣に一石展示をしておりますが、ここにコダイアマモと呼ばれる植物の化石が残っています。
Q 和歌山城に何度来ていても、この石を目にしていても、まさか化石が残っているとは思わなかったです。ちょっと波打った、しゅっとした岩にはない柄がはいっているのが、これが化石の跡だったんですね。
そうですね。ちょっと鳥の足跡みたいな跡がコダイアマモ7千万年前の植物の痕跡になります。

Q そして穴蔵状遺構から見ると二の丸広場が広がっていますが、この場所は昔どのように使われていたのでしょうか?
穴蔵状遺構を振り返った東側を見ると、広大が空間が広がっているのですが、ここには「二の丸御殿」という大きなお屋敷がありまして、ここが基本的には江戸時代、紀州徳川家の殿様が住んで政治を行なっていた場所です。まさに穴蔵状遺構のすぐ目の前に広がっているのは大奥と呼ばれる藩主のプライベート空間が広がっていたエリアになります。


Q 今、椿の垣根があるのですが、この囲われていた部分ということになるのでしょうか?
実際にはもう少し東の方に広がるのですが、概ねエリアとしてはこんな感じですね。
Q では、明日はその向こうへと進んで行きましょうか、東側に。
はい、進んで行ってみたいと思います。
2026年1月8日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q 西の丸広場から御橋廊下にやってきました。風情ありますね。



そうですね。これは木造で2006年に復元された建物ですが、もう20年ほど経とうとしていますが、綺麗な形で保っています。
Q この名の通り御橋廊下、橋なんだけど、廊下になってる、って珍しいんじゃないですか?
全国のお城を見てるとこういう形式の橋って意外とありまして、ただ、和歌山城がよその城と違うのは高低差がある、斜めになっている、というところですね。ここが大きな違いです。
Q これは昔もこの形だったのでしょうか?
はい、江戸時代後期に作成された立面図が残っておりまして、それを元に復元をしているのですが、当時からこの形になっています。
Q では、中に入ってみましょうか。確かに斜面になってます。横にも小窓があってお堀を見ることができていいですね。
天守閣もここから見ることができますので、ちょっとした隠れ撮影スポットみたいな位置付けになります。

Q この橋は目的は何のために建てられた橋になるのですか?
これは二の丸と西の丸、それぞれ江戸時代は二の丸御殿、西の丸御殿があったのですが、両方を殿様が行き来するために作られた専用の橋になります。
Q 他の人はなかなか通ることができなかった?
そうですね、殿様とお付きの方のみしか通れなかった橋になります。
Q 気になるのは床なんですが、すごく特徴ありますよね。
板を重ねて段差を作ってるのですが、これが滑り止めで作られたものになります。
Q 当時からここまで考えられていたのでしょうか?
はい、当時、江戸時代後期の御橋廊下を描いた図面を見ると、よーく見るとそう言う表現がしてありました。それを元に再現をしています。
Q 今、時間帯にもよるかと思うのですが、光が当たった時に、御橋廊下に小窓がたくさんあるのですが、窓の桟の柄が床と天井に写ってステキ✨これって計算されていたのでしょうか?
そこまでしてたかどうか、ちょっとわからないですけれども・・。ただ、今こうやって見てみるとすごく粋な演出というか、自然の光とコラボレーションできているのかなと思いますね。

Q 他にもこの橋の特徴はありますか?
この橋は殿様が渡る専用の橋、ということですので、外から移動してる姿とか見られないように壁がついていて、雨が降っても移動できるようにと屋根がつけらて、本当の意味での廊下橋という形になっています。
Q こちらの橋の利用時間は決められているのでしょうか?
午前9時から午後4時45分まで通行可能ですので、その間は通行することができます。
今回は西の丸広場と御橋廊下について2日続けてお届けいたしました。
2026年1月7日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
知ってるようで知らない和歌山城の歴史について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。お出かけシリーズ、今回は「西の丸広場」に来ています。



Q こちらは和歌山市役所の目の前にある広場ですね。
はい。ここは週末いろいろなイベントが行われているとこですので、市民のみなさまも馴染みのあるところじゃないかな、と思います。
ここ西の丸は当時、基本的には「西の丸御殿」という御殿がありました。ただ、ここは殿様が寝泊まりしたりだとか政治を行う場所ではなくて、殿様が趣味を楽しむための空間、場所でした。
具体的には、東側には能舞台があって、お殿様が能を鑑賞したりとか、お茶室もあったり、歴代の殿様の中には焼き物を作るのが好きな人もいて、その人のための窯があったりとか、つまり、いろいろな趣味・娯楽を楽しむための室があったのが西の丸なんですね。
Q 今は広場になってますが、ここはいろいろな建物があったという感じなんですね。
そうです。御殿を中心に能舞台、お茶室とか、いろいろな建物がこの広場に密集して建てられていました。
Q そう思うと、当時の笑い声や喜びがここから出てくる、って感じですね。
そうですね。やっぱり政治とはまた違う、離れた空間ですので、多分ここで気難しい話とかもなく、殿様も、そこに仕える家臣たちも和気あいあいとしていたのかもしれないですね。

Q 今も昔もその点では一緒かもわからないですね。
今度は市民のみなさんの憩いの場という形でいろいろなイベントで使っていただいていますので、そういう意味では機能としてはそんなに変わっていないのかな、と思います。
Q さて、西の丸広場からお堀の方を見ますと気になる石が4つあります。この大きな石は何なのでしょうか?

これは2006年に御橋廊下を復元する時に発掘調査で出てきた御橋廊下の礎石になります。
Q いつ頃のものになるのですか?
おそらく江戸時代の中期くらいかなと思うのですが、かなり古いものですね。
Q すごく大きな穴が空いているのですが、直径30cm以上くらいある結構大きな柱だったのですね。
そうですね。やっぱり橋自体が巨大な構造物ですので、当然ながらその橋を支えるための柱、柱の礎石としては非常にしっかりとした作りになっています。
Q なんかネジを差し込んだのかな、というような溝もあるのですが、これは?
柱をちょっと削って、差し込むための穴なのですが、おそらくここは柱が抜けないように側面に溝を入れているんじゃないかな、と思います。
Q すごいですね。ではいよいよこの御橋廊下に行きましょうか。
御橋廊下案内したいと思います。
2025年11月25日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今日も昨日に引き続き「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q 私たちは今、西の丸庭園に来ています。こちらは風情があって・・そんなお話を昨日伺いました。今日は建物について伺います。色々な建物ありますよね。
数は多いというわけではありませんが、庭園内には建物がいくつかあります。
今、池に突き出した形で建っている建物がありますが、これは鳶魚閣(えんぎょかく)という建物になります。

Q 池に突き出ていて、水面の光が建物に映って、すごく綺麗ですね。
そうなんです。池に突き出している建物で、建物の形としては「釣殿」と呼ばれる形の建物になります。これは平安貴族の邸宅にあったような建物なのですが、作られた理由ははっきりわかっておりません。
中に入ると、お庭の池を一望することができる、四方の障子が開けられるようになっていますので、これを全部開け放つとお庭の池が全部座りながらにして見渡すことができる。おそらくそういうことを考えると眺望を意識して、眺めを意識して作られたものだろうと思います。
Q ここで何をされていたんでしょうね
ここでお月見とか、部屋の中で歌を考えられたりとかしてたんじゃないかな、と思います。
Q そして、よく西の丸庭園と言えば「お茶」をされる方も多いかと思うのですが、お茶室もありますよね。
西の丸庭園の市役所側に和歌山市出身の実業家である松下幸之助さんが寄付していただいたお茶室「紅松庵」がございます。
Q 昔、そのまた昔、違うところにもお茶室があったとか。
今の場所とは変わって、今度は西の丸庭園の一番西側の高台になっているところにお茶室がありまして、そこからだと、今はちょっと木が茂って難しいのですが、昔はもう少し木が少なかったはずなので、お庭が一望できる位置にお茶室があったんです。だから殿様はそこでお茶を立てながら、しかも庭を一望しながらお茶を飲む、という、すごい贅沢なお茶室があったと考えられています。

Q そう思うと、こちらの造り、川のような水の流れや、橋も違う種類のが二つあったりして、絵になってますよね。

上から見ても下から見てもどこから見ても絵になるというのは、その通りだなと思います。
Q すごく計算されてますね。ちなみに伊津見さんのおすすめの場所はありますか?
庭園の一番上の橋、紅葉谷橋という橋がかかっているのですが、そこから見る庭園の景色というのが、庭園の奥行きがわかるので橋の上から見る景色が好きです。
Q では、またこちら西の丸庭園からお堀の方を見ますと、気になるところがありますので、次回はそちらを案内してもらえますか?
次はこの奥に見える「御橋廊下」こちらをご紹介したいと思います。
和歌山城のHP
2025年11月24日
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「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q すっかりシリーズとなりました「お出かけバージョン」。今日は西の丸庭園に来ています。
ホント、風情ありますね。
そうですね。ちょうどこの季節、涼しくなりましたので散策するにはちょうどもってこいの季節ですね
Q 西の丸庭園の歴史はどういった感じになるのでしょうか?
この和歌山城の西の丸に位置する西の丸庭園ですが、実は作庭、つまり作られた時期がまだよくわかってなくて、はっきりしているのは関ヶ原の戦いの後には作られただろうという風に今の所、説をとっております。
Q その時に、すでにこの風情ある形ができていた感じなんでしょうか?
そうですね。一気にできたか、段階的に作り上げていったか、というのはちょっとわからないですが、少なくとも江戸時代の初期にはあっただろうということになっています。
Q この西の丸庭園は「紅葉谷庭園」として親しまれていますが、紅葉も多くて季節を感じますね。
本当に今となっては和歌山市における紅葉の一大名所という形になりまして、毎年11月から12月にかけては本当に多くの方に来て、紅葉を楽しんでいただいております。
Q 全国から、そして世界から来られているこちらの庭園。特徴は特にどんなところにありますか?
まず、ひとつはこの目の前にある庭石がひとつあります。これは結晶片岩という和歌山城の石垣にも使われているお城の周辺で採れる石をふんだんに使っているということ。緑がかった色をしているので雨上がりとかになると、また綺麗な色をして、またお庭の印象が変わるんです。
Q 今、お話いただいたこの岩は、こちら橋が2つあるのですが、市役所の方から入ってきて下に降りてきた方の橋にあるんですよね。

そうです。あとはもう庭園の池の護岸とか庭石に使われているところを見ると全部結晶片岩で、全部使用されてますので、和歌山らしい、そんなお庭ですね。
Q 他にはどんなところがありますか?
あとはですね、この今目の前にお庭の池が広がっていますけれども、これは池といいながら実は和歌山城の内堀のいわゆる終点の部分なんです。つまりお城の堀がお庭の池として使われているところがまず大きなポイントで、普通、お堀って防御のための戦うための施設ですが、ここはお殿様が鑑賞をするためのお庭の池にかわっているということで、多分戦国の乱世の世から平和の時代へと変化していく中で、この堀に求められる機能も変わっていった。それがちゃんと現れているのが特徴かなと思います。
Q 時代の移り変わりも感じられる場所になりますね。
そうですね。なかなかこういう堀をお庭に池に見立ててる庭園があるお城って全国的に見てもほとんどないです。
まだまだお話は続きます。明日も引き続きよろしくお願いいたします。
2025年9月29日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話を伺います。今回もおでかけバージョンです。

Q 前回は本丸、そして天守閣の入り口と、みなさんにご案内しました。
いよいよ天守閣に入って参りました。
今、中に入ってきて大天守の1階におります。
Q ここの特徴は何でしょうか?
天守閣全体が紀州藩や徳川家に関する史料展示室みたいな形になっております。
大天守1階は主に江戸時代の武具、刀、甲冑とか槍とか古文書等を中心に展示をしております。
Q この階での1番、ここは必ず見ておいて、というのはありますか?
大天守の平面が歪んでいるというのが、実は中に入るとよくわかるんですね。


大天守の南側に立って西の方を向いていただくと、壁が90度になっていないというのがわかると思います。そこからさらに北の方向を振り向いていただくと、ちょっとわかりにくいのですが、また、角度が90度になっていない。
いかにこの建物が正方形ではない、歪んでいるのかというのが、南東の隅に立つとよくわかるようになってます。
Q これは伊津見さんだから教えてもらえるマル秘情報ですね。是非、みなさん、こちらに立って、その歪みを楽しんでみてください。
では、次の階へ行きましょうか。階段を登って2階にやって参りました。
こちらは先ほどとは雰囲気が少し変わりますね。
ここは下とは違いまして、主に紀州徳川家に関係する史料、例えば藩主が自分で直接書いた「書」とか「絵」とかあるいは過去の和歌山城の発掘調査で出土した瓦とか出土遺物類をここで展示をしています。
Q 今、私たちの目の前には掛け軸があるのですが、これもやはり由緒ある方が書かれたものになりますか?

この掛け軸は12代藩主の徳川成勝が自ら書いた書になります。ちゃんと印鑑も、本人の印鑑も押してありますので非常に格式の高い史料じゃないかなと思います。
Q 達筆なんですけれど、今の現代人の私でも読める、というところも、時代が変わっても感じるものありますよね。
そうですね。字の上手い人は現代の人からしてもありがたいくらいに読めますよね。
Q 伊津見さん、ちょっとこれ面白い・・桃の瓦ですか?


はい、そうなんです。桃を模った瓦が置いてあります。桃というのは災いを避ける意味合いがありまして、これは元々天守閣の入り口、我々がさっき最初入ってきた入り口の玄関の屋根に葺かれていた桃の瓦になります。
Q 普通、天守閣の屋根の上だったら鯱鉾とか、厳ついって感じがするのですが、本当に可愛い桃。この時代も桃は桃だったんですね。
そうですね。桃としてはやはり江戸時代も日本にもありましたので、元々中国の伝承で桃は魔除けの力があると信じられていましたので魔除けの意味合いを込めて作られた瓦になります。
そんな感じで気になるものが見つかるかもわからないので一つ一つご覧になっていただきたいですね。
和歌山城のHP
2025年7月10日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
昨日に引き続き、和歌山城に来ています。和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんです。
Q 昨日は本丸からの和歌山城の天守閣を眺めたのですが、今日は天守閣にやってまいりました。
今いるのが入り口ですね。
通称「楠門」江戸ん時代の名称は「天守二の門」と呼ばれている門の前に来ています。
まず、見ていただきたいのが、左右に広がる野積の石垣です。豊臣時代に築かれた石垣です。


Q 石垣に歴史を感じさせるような、色が違ったり、形が違ったりですね。
そうですね。形も自然の石をそのまま積んだり、あるいは割り出してきているけど加工はせずにそのまま積んだり。それをうまいこと組み合わせて積んでいる、というところに当時の築城技術の高さを垣間見ることができます。
Q 美意識の高さも垣間見られますね。
そうですね。美意識でいうとこの天守二の門をくぐった奥に大きな石があるのですが、鏡石といわれる石になります。
Q この鏡石には何か意味があるのですか?
よそのお城でもよく見られるのですが、こういう主要な出入り口のところに大きな石をはめこむことで城主の権威の強さというものを来城者に見せつけるという、そういう役割があったといわれています。

Q 真正面に鏡石がありまして、ちょっと右手を見ますと、ちょっと色合いが違う石が見えるのですが、これは。
元々はこういう色をしていなかったのですが、今から80年前の和歌山大空襲で和歌山城の天守が焼失した時に石垣も一部被災をしていて熱を受けた跡になります。
Q 色々な歴史を感じながら、門をくぐって天守閣の真正面まで移動しましょうか
はい
Q 今、天守閣の足元にいます。見上げると圧巻ですね。
今、目の前に見えてますのが三層の三階建の大天守になります。
Q 下から見ると屋根、屋根、屋根って感じですが、特徴ありますか?
実は下から見上げると軒先の部分が1階部分と、2階3階部分とはズレてるというのが見て取れます。
どうしても地形に合わせた形で石垣を積んでいるため、実は1階部分がズレた平面になってるんです。平面として歪んでいるので、それを調整するために2階3階を正方形にして調整しているという、そういう工夫のあとになります。

Q 右手には天守閣があって、真正面にあるのが入り口。この入り口には名前はあるのですか?
この目の前にある入り口は「玄関」でいいですけれども、ここは2階建の小天守につながっています。なので直接大天守に我々が上がることはできなくて、一旦、小天守に入ってから中の廊下を通って大天守にあがります。
Q その玄関、小天守の左にあるのは、これは。。誰がいた場所になるのでしょうか?
台所になります。ここは戦の時に籠城した時に中で調理をしたりするような場所になります。
では、次回、いよいよ天守閣の中に入ってまいりますが、今回はここまで。
ありがとうございました。