9/11放送 紀三井寺①

2024年9月11日

☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆

今回は、和歌山市民にも親しまれ、和歌山市観光でも有名なスポット、紀三井寺について、紀三井寺住職の前田泰道さんにお話を伺います。

Q 紀三井寺は和歌山市のシンボルのお寺といってもいいくらい歴史がありますが、いつからあるお寺ですか?
西暦でいうと770年。今から1254年前になります。唐の国(今の中国)からはるばる海を渡ってこられた為光上人というお坊様によって開かれたお寺です。

Q 紀三井寺という名前もそのころからなのでしょうか?
そうなのですが、ここは正式には「金剛宝寺護国院(こんごうほうじごこくいん)」という正式名称があります。ご存知の方は少なくて、みなさん「紀三井寺」とおっしゃっていただくのですが、紀州にある、三つの井戸のお寺という意味です。

山の中に3箇所井戸がありまして、それぞれ名前がついていて、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)。これが自然の霊水を湧かしている珍しい湧水のあるお寺という意味で「三井寺」と呼ばれていました

大津にも「三井寺」がありまして、ここのお坊さんが西国巡礼を最初に始めたと言われていまして、このお坊さんがこの辺りに来た時に、うちにも三井寺がある、ここにも三井寺がある。それなら紀州の三井寺ということでちょっと区別してほしい、ということで「紀」がつきまして「紀三井寺」になったと言われています。

Q その井戸は今でも見ることができますか?
今もコンコンと水を湧かしておりまして、きれいに整備されて湧かしております。

一応自然の水なので保健所からは煮沸するようにといわれているのですが、それぞれに霊言がこもった水であることを偲びながら汲んでいただけたらと思います。

Q 紀三井寺といえば長い石段。これは何段あるのですか、また、すべてに意味がありますよね。
231段ありまして、別名「結縁厄除けの坂」と言われています。
厄年がありますよね、男性でいうと42歳が悪い歳。女性は33歳、還暦の61歳も悪いという、全て数え歳ですが。。ちょうどその段数に踊り場から踊り場までがなっているのです。それで厄除けの坂といわれていてそこを踏み越えることによって厄除けになるという意味です。

もう一つは結縁坂(けちえんざか)という意味は、紀国屋文左衛門(江戸に上り大金持ちになった方)がまだ若い、貧乏な若者だった時に自分の足の不自由なお母さんを背負って紀三井寺に来た時に、ぞうりの鼻緒が切れてしまい、それを付け替えてくれたのがこの対岸にある玉津島神社の宮司の娘さんでおかよさんという方。恋が芽生え、それだけでなく宮司の出資金によって、みかんが少なくて困っていた江戸に紀州のみかんを運んで、大きな火事で木材がいるという時には木材を運んで、大儲けをして紀国屋という大きな信頼をうちたてた。ということから「結縁」と「出世」、「開運」の基になった坂「結縁坂」と申します。

明日も引き続きよろしくお願いいたします。

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