7/22放送 知ってるようで知らない和歌山城の歴史「表坂」

2026年7月22日

☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆

知ってるようで知らない和歌山城の歴史について、和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話を伺います。

Q. 蔵ノ丸からちょっと歩いて、石垣のある表坂のところにやってきました。さあ、ここはどんなところになりますか?
ここはですね、この蔵ノ丸から天守が建っている虎伏山の山頂にアクセスするための坂道の入り口になります。

Q. 石垣がずっと伏虎像の方からずっとつながってきてるんですが、横から見てみますと面白い造りですね。
そうなんです。 「表坂」坂と言われてますから、坂道になってるんですけども、一回登って、また一回折れ曲がって、また上でもう一回折れ曲がって、っていう形で、つづら折れの坂道になっています。石垣が通路の前後に築かれてますから、下から見ると石垣が 4重に連なって重なって見えるという、ちょっと和歌山城でもなかなかないスポットになってます。

この下の坂道を支えている石垣と、上の一番上に築かれている石垣は、作られた時期も石材の材質も違うので、上の方が古いんですけども、下の方が新しい石垣、というふうな違いがあります。

Q. この表坂はこういったつづら折れの坂道になっているんですが、和歌山城の天守閣に行くには他にも入り口ルートがありますよね。
はい。 あと 2つルートがありまして、一つは「裏坂」というルートと、もう一つは「新裏坂」というルートがあります。

このうち新裏坂は明治時代になって新しく作られたルートです。実はここは江戸時代になく、江戸時代は表坂ともう一つの裏坂のこの 2つの坂道で天守閣にアクセスをしていたということになります。

Q. 動物園の駐車場のところから上がっていくところが新裏坂。
はい、そうです。皆さん、車で和歌山城に来た時は新裏坂から上がられることが多いと思います。

Q. そして市役所に向かった二の丸広場のところから上がっていくところが裏坂。
はい、そうです。 そこも表坂みたいに坂道になってるのですが、天守閣へのアクセスする距離は、裏坂の方が短いんです。けれど、距離が短くなる分、傾斜が急になって、表坂よりかは足腰に負担が来るような坂道になっております。

Q. その当時、この表と裏のこの使い方ってどうだったんですか?
藩主が天守に登る時がたまにあるんですけども、そういった時にどういうルートでアクセスをしてたかというのは、実はちょっとまだわかっていなくて。表坂から登って裏坂で下りていたのか、あるいはその逆であったか、あるいは表坂から登っても表坂使って下りてくるか、いろんなパターンが考えられるんですけども、今のところ藩主の実際の通行ルートはちょっとよくわかってないので、これは今後の研究の課題かなと思います。

Q. そういったことも日々紐解いていって、また数年後には新たな「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」が増えていくかと思うとワクワクしますね。
そうですね。いろいろ研究した成果がこういう形で世に出せたらすごく嬉しいなと思います。

今回は表坂、裏坂、そして新裏坂についてお話し伺いました。
和歌山城HP

7/21放送 知ってるようで知らない和歌山城の歴史「蔵ノ丸」

2026年7月21日

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知ってるようで知らない和歌山城の歴史について、和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話を伺います。

Q 実際に和歌山城を歩きながら、知ってるようで知らない和歌山城の歴史を聞いていくこのシリーズ。 前回は伏虎像のところで石垣を見ました。
そこからまた少し進みまして、今いるのが、桜の季節にお花見したり屋台の並んでるところになります。ここは何という場所になるんでしょうか?
ここは「蔵ノ丸」という場所になります。

Q 「蔵ノ丸」 気になるところがあるんですが、お堀の石垣、和歌山城の方に向かって石の階段があるのですが、これはお堀に出るための階段なのか、それか何かステージで、皆さんがアリーナ席のように座って見る場所だったのか。これは何なんでしょうか?
これはですね、石段に見えるんですけども、呼び方としては「雁木(がんぎ」と言います。 その雁木を登った先に、今はもう石垣の上には木とかが生えてますが、江戸時代は「多聞櫓(たもんやぐら)」という長屋状の平屋の建物が建っておりまして、そこに上がっていくための階段になります。

Q 結構距離ありますよね。ぐるーっと180度じゃないですけれども、ぐるっと囲んでますよね。
そうですね。 雁木はこの蔵ノ丸を全てではないんですが、そのほとんどを囲むように取り囲むように張り巡らされています。当時は多聞櫓がこの石垣に沿って全部に乗って建てられていましたので、そこへアクセスするためにこれだけの長い雁木が作られたということになります。

Q その櫓はどういった使い方をしてたんでしょうか。
そうですね、江戸時代においては倉庫として使われることがほとんどだったんですけども、仮に戦争が起こった時に、多聞櫓の中に素早くたくさんの人がアクセスできるように、と、これだけの横長の長い階段(石段)が作られたと考えられています。

Q 確かに。一部分だけの階段だったら、その階段に人が集中して危ないですが、これならどこからでもその櫓のところに登っていけるということですね。これは和歌山城だけじゃなくても他のところでもあるんでしょうか?
あります。よく見られるというわけではありませんが。
有名なところでは山口県萩市にあります萩城、毛利家の居城ですが、萩城の石垣にもこういう横長の長い雁木を備えた石垣が見られます。

Q 石垣だけど雁木「木」という文字を使うところにも、ちょっと興味を持ちました。今回は蔵ノ丸の雁木について伺いました。
明日はどこをご紹介いただけますでしょうか?

明日は蔵ノ丸の雁木からほど近くにあります虎伏山に上がるための入り口である「表坂」をご案内したいと思います。
和歌山城HP


9/30放送 知ってるようで知らない和歌山城の歴史「天守閣」

2025年9月30日

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今日も昨日に引き続き、和歌山城おでかけバージョン、ということで色々なところを見ております。
天守閣の最上階、一番上に来ました。伊津見孝明さんです。

Q 天守閣、風の通りが良いですね
そうですね。四方に扉がありますので全部この時期は開けておりますから、非常に風の通りはよくて涼しいですね。

Q まず上がってきて目に入るのが、この鞠(天井にあるライト)もあります、(和歌山城の)模型もあります。そして、この景色。どんな感じで見ていきましょうか?
まず、ベランダみたいになってますから外に出ることができますので、まず外に出ていただいて、順番に、方角ごとに見える景色の内容を説明していきますと・・・

北側の眼下には市役所とか和歌山城ホールが見えまして、さらにその奥に目を転じると、ビルとビルの間に紀ノ川が見え隠れしています。さらに紀ノ川を渡った先には山が、和泉山脈という巨大が山脈が横たわっているのですが、それを超えたら大阪、ということになります。

、JR和歌山駅方面になるのですが、さらにその先に目を転じますと、ずっと紀ノ川筋で山々が奥の方まで続いています。

ここから見ることは出来ませんが、方角でいうと、高野山の方になりますので、こちら側に高野山があるんだな、というのを知っていただけたらと思います。

Q 今、ちょっと霞がかかっているのですが、スカッと晴れてる時、見えそうな気がするくらいに展望がいいですよね。
そうですね。本当に霞かかっていない冬の日なんか結構多いのですが、そういう時に四方を見渡すと、すごくはっきり見えて感動しますね。

Q お正月の「天守閣から初日の出を拝もう」という時なんか最高の角度ですよね。
ここまさにベストショットだと思います。

今度は目を転じて、南側に行きますと、和歌山県立博物館、それから県立美術館が右側の方に見えまして、右奥ずっと見ていきますと和歌の浦がちょっとだけ見えるんですね。山と山の間のところに少し海が見えるのですが、かろうじて和歌の浦を見ることができます。
方角的にはこっち側の白浜や海南の方になりますね。

和歌山城を訪れた後に和歌の浦も是非一緒に訪れていただきたいな、と思います。

Q そして、西側になりますが、またここも景色がころっと変わりますね
今度、西側の川と海が見えます。右側には紀ノ川の河口部分が見えておりまして、その先が紀淡海峡、徳島と和歌山を結ぶ間を隔てている海峡になります。

Q 和歌山城がなぜここで、そして文化がどうして発展したのか、わかるような地形ですね。
今日は残念ながら見えないですけれども。天気の良い日は奥に徳島県が見えます。

大阪と江戸を結ぶ船も全て和歌山の目の前を通りますし、徳島は徳島で外様大名蜂須賀家の領地ですから外様大名を出る蜂須賀家を睨むために、ここに紀州徳川家が置かれたということも一つ可能性としては考えられています

このラジオを聴きながら天守閣楽しんでみてください。

和歌山城のホームページ

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