
和歌山市広報番組

和歌山市のゲンキな情報をお伝えします!
「ゲンキ 和歌山市」は和歌山市のイベントや旬な話題・情報、
そして和歌山市をゲンキにするために頑張っている市民の方々にスポットをあて、
月曜日から金曜日の朝、お伝えします。
2025年7月10日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
昨日に引き続き、和歌山城に来ています。和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんです。
Q 昨日は本丸からの和歌山城の天守閣を眺めたのですが、今日は天守閣にやってまいりました。
今いるのが入り口ですね。
通称「楠門」江戸ん時代の名称は「天守二の門」と呼ばれている門の前に来ています。
まず、見ていただきたいのが、左右に広がる野積の石垣です。豊臣時代に築かれた石垣です。
Q 石垣に歴史を感じさせるような、色が違ったり、形が違ったりですね。
そうですね。形も自然の石をそのまま積んだり、あるいは割り出してきているけど加工はせずにそのまま積んだり。それをうまいこと組み合わせて積んでいる、というところに当時の築城技術の高さを垣間見ることができます。
Q 美意識の高さも垣間見られますね。
そうですね。美意識でいうとこの天守二の門をくぐった奥に大きな石があるのですが、鏡石といわれる石になります。
Q この鏡石には何か意味があるのですか?
よそのお城でもよく見られるのですが、こういう主要な出入り口のところに大きな石をはめこむことで城主の権威の強さというものを来城者に見せつけるという、そういう役割があったといわれています。
Q 真正面に鏡石がありまして、ちょっと右手を見ますと、ちょっと色合いが違う石が見えるのですが、これは。
元々はこういう色をしていなかったのですが、今から80年前の和歌山大空襲で和歌山城の天守が焼失した時に石垣も一部被災をしていて熱を受けた跡になります。
Q 色々な歴史を感じながら、門をくぐって天守閣の真正面まで移動しましょうか
はい
Q 今、天守閣の足元にいます。見上げると圧巻ですね。
今、目の前に見えてますのが三層の三階建の大天守になります。
Q 下から見ると屋根、屋根、屋根って感じですが、特徴ありますか?
実は下から見上げると軒先の部分が1階部分と、2階3階部分とはズレてるというのが見て取れます。
どうしても地形に合わせた形で石垣を積んでいるため、実は1階部分がズレた平面になってるんです。平面として歪んでいるので、それを調整するために2階3階を正方形にして調整しているという、そういう工夫のあとになります。
Q 右手には天守閣があって、真正面にあるのが入り口。この入り口には名前はあるのですか?
この目の前にある入り口は「玄関」でいいですけれども、ここは2階建の小天守につながっています。なので直接大天守に我々が上がることはできなくて、一旦、小天守に入ってから中の廊下を通って大天守にあがります。
Q その玄関、小天守の左にあるのは、これは。。誰がいた場所になるのでしょうか?
台所になります。ここは戦の時に籠城した時に中で調理をしたりするような場所になります。
では、次回、いよいよ天守閣の中に入ってまいりますが、今回はここまで。
ありがとうございました。
2025年7月9日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。今回もお出かけバージョンとなっています。
Q 今日、やってきましたのは二の丸からずっと石垣のある階段を登ってきまして、右に行くと天守閣、でもその天守閣に行く前に左手にある本丸御殿跡に来ています。ここはどんな場所になりますか?
豊臣秀長が和歌山城を造った時につくられたとされている曲輪になりまして、浅野時代、その後の徳川時代には本丸御殿といわれる建物が立っていたところになります。
Q ここの場所、改めて立ってみると西側真正面に天守閣がどどーんと目よりちょっと高いかな、という位置にあって、迫力がありますね
大天守と小天守が揃って撮影できる良いスポットになりますね。
Q ここの名前が本丸御殿跡ということは、やはりここも活用していた時があった、ということですよね。
そうですね。具体的な動きが文献上で見えてくるのは浅野時代からなのですが、ここに本丸御殿があって当初はここが藩主の生活と政治の拠点だったといわれています。
Q どんな建物だったんですか?
面積が狭いのでそんな大規模な建物は存在しなかったのですが、やはり藩主と家臣が謁見する、対面するための広間や、料理をするために作られた台所とか、そういった建物が並んでいました。
Q 生活をする、といった感じなんですね。
そうですね、生活とあとは政治もここでおこなっていたという風に考えられrています。
Q ここに立って、私は真正面に見える天守閣が見応えあるなと思ったのですが、ここに来られた方に是非、これを体感して欲しいとか、何かありますか?
そうですね、現在は面積の半分が水道施設になっている関係で本丸は全部入れないのですが、やはり午前中であればこの大天守と小天守が揃ってきれいに見ることができますので、まずはこの眺めを楽しんでいただきたいな、と思います。
Q 海外の方や観光客の方が来られたら、まずこちらに案内して写真を撮る、というのも最高ですね。
そうですね。ここで記念撮影をされる団体さんとかもありますので、結構、もしかしたら観光客の方たちには知れわたっているスポットなのかもしれません。
Q すてきな場所に今は建物が何もないのですが、なくなってしまった背景はあるのですか?
明治になって城が使われなくなってから本丸にあった御殿なども順次解体撤去されて今のように何も江戸時代の建物がない状態になっています。
Q いよいよ、そこから天守閣に私たちも行きましょうか。
そうですね、天守閣に向かいたいと思います。
2025年5月27日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
昨日に引き続き和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q 今日は大手門から中に入ってまいりました。
いきなり右手に見えてくるのが「枝垂れ桜🌸」桜の季節の時にはたくさんの方が来られますよね
そうですね。城内の桜の中でも早めに開花するところでもありますし、夜は夜でライトアップされていますので桜の季節の時にはここで写真を撮られてる方がすごく多かったです。
Q 桜を右手に見まして、左手斜め向こうの方、お堀の方を見ますと、気になる屋根が見えるのですが、あれは何でしょうか?
あれは和歌山城の中でも数少ない現存の建物である「井戸屋形」という建物になります。
Q 井戸屋形・・確かに井戸の上に屋根がありますが、これはどういった使い方をされていたのですか?
おそらく、井戸の水を汲むために滑車が上についていたんじゃなかろうかと思うのですが、それ用の屋根と井戸全体を雨風から保護するためにつけられた屋根ですね。
Q 生活に使っていたとか、何か具体的な使われ方はあったのでしょうか?
ちょっと実態はよくわかっていないのですが、ここは大手門をくぐったすぐそばに大手門の警護をする番人がつめる番所があって、そこから見たら比較的近い場所ですので、番人たちが普段警備の時に使う飲料水とかで使われていた可能性が考えられます。
Q 潤いの場だったんですね。ここから先、どこに行けば良いというおすすめありますか?
この井戸屋形から見ますと西側の方になるのですが、大きなクスノキがあります。ここも結構迫力がありますので、そちらも見ていただきたいなと思います。
Q さぁ、やってきました。クスノキの前に今いるのですが、石垣の上に大きなクスノキですね。
ここが和歌山城の樹木の中で一番大きな木になります。
Q 右手に大手門が見えまして、枝垂れ桜があって、ちょっと上を見るとクスノキがあるのですが、どれくらいの歴史があるのですか?
樹齢が400年以上と言われています。
Q 樹齢400年。大人の人が両手を広げて、何人くらい?!って感じですね。
幹周りが約7mありますので10人とまではいかないまでも、それなりの人数が手を繋いだら囲えるんじゃないかなと思えるくらいの規模はあると思います。
Q その幅もですが、高さも!そして気になるのが横に伸びてる枝がもはや枝ではなくて木という感じがするくらいのすごい迫力ですね
樹高、木の高さが25mありますので県の天然記念物にも指定されております。やはり和歌山城の歴史を語る上では外せない木になるかと思います。
Q 大きく包み込まれるようなクスノキ。改めてみなさんも立ち止まって見ていただきたいですね。
そうですね。一度立ち止まって見上げていただけたら規模が実感できるかと思います。
「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」おでかけバージョン。これからもシリーズでみなさまにお届けしていきます。
和歌山城のHP
2025年5月26日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんに伺います。
「おでかけバージョン」ということで、今、一の橋の前にいます。公園前の交差点のところ、けやき大通りの公園前のところにいます。
Q 「一の橋」この場所はどんな場所になりますか?
ここは和歌山城の全体でいいますと、外郭と内郭の境目になります。
お城というものは、和歌山城の場合は外郭と内郭の二つのエリアにわかれていまして、外郭の部分が、ここ一の橋があるところから北側にある市堀川の間までが外郭。今度、振り返ってもらうと、目の前に内堀があるのですが、内堀から中が内郭というエリアに分かれてまして、まさにこの外郭と内郭の二つのエリアの境目にあたります。
Q では、その境目になるところ「一の橋」を渡って中に入っていきましょうか。この「一の橋」の形は昔から変わらないのですか?
古写真が残ってるのですが、それと比較すると若干傾斜はあがってるのですが大体印象的なものはそのままですね。
Q 幅も結構ありますよね。
そうですね。実はこれは正式な城内から城外へ出る、城外から城内に向かうためのお殿様が通る正式なルートでもありますのでそれなりの幅広の橋が架けられたんだろうと思います。
Q では、お殿様が来られる時はここを通ってお城の中に入った、ということですね。
そうですね。特に参勤交代とかで江戸と和歌山を往復する時は必ずこの大手の一の橋を通って江戸に向かったり、和歌山に帰ってきたりしてました。
Q すごい場所にいるわけですね。そこから入って次に目に入るのは門ですが、この門も歴史を感じますね。
そうですね。実はこの一の橋もそうなんですが、目の前に見えてる「大手門」も昭和50年代に再建されたものでして、江戸時代から残っている建物、建造物ではないのですが、だいぶ色合いが渋い感じになってきて再建された建物とは思えないくらいの迫力を醸し出しています。
Q その門も気になるのですが、今、私たちは一の橋の上に立って西側を向いているのですが、この景色も素敵ですね。
そうですね、この一の橋から市役所の方向、西側の方を見ますと内堀がずっと奥の方まで続いているのが見えますし、それに沿って高い石垣も二の丸の西側に向かって続いているのがよく見えますので、お城の大きさというものが実感しやすいのでは、と思います。
Q 堀の石垣の側面を段違いで見ることができるのもおしゃれでいいですね。
和歌山城の堀にかかっている橋というものが、ここと「御橋廊下」くらいしかありませんので、橋の上から堀をばぁ〜と見れるっていうのは、実は和歌山城の中でも数少ないポイントになります。
Q じゃあ、お城好きの方はここの一の橋から見たこの景色は好きでしょうね。
お城好きな人にとってはたまらない景色かもしれないですね。
では、一の橋を渡って門を通って入っていきますが、ここから先はまた明日。
和歌山城のHP
2025年3月5日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
昨日に引き続き今日も「和歌山城の知ってるようで知らない歴史」「わかやま歴史館」について和歌山城整備企画課 伊津見孝明さんにお話を伺います。
Q 昨日は「わかやま歴史館」に入って、目に映った「お城の模型」や「シアタールーム」展示室の「金の印鑑」について伺いました。盛りだくさんになってるので、その中でも、という伊津見さんのおすすめを教えてください。
おすすめと言ってもいくつかあるのですが、まず、入って左手の壁に和歌山城の歴史に関する年表を貼っております。これは築城より前の雑賀衆が治めていた中世の戦国時代の頃から、今の天守閣が再建される昭和33年まで、その間で起こった和歌山城に関係する出来事を並べて展示しています。お城の歴史の流れが一目でわかるものです。
Q 和歌山城を知るだけでなく、和歌山の歴史、近代のことも学べるんですよね。
はい、そうです。2階歴史展示室の第二展示室では「陸奥宗光」「南方熊楠」「川端龍子」「松下幸之助」最後に「有吉佐和子」と5人の和歌山ゆかりの近現代の有名人の方に関する資料も展示しております。
Q これも貴重なものがたくさんありますので、入れ替えとかあるのですか?
そうですね、不定期ですが、一部入れ替えをしたりもしています。
Q 最後にメッセージやお知らせをお願いします。
わかやま歴史館では江戸時代の和歌山城の姿を再現した精巧なVRの映像を流しております。これを見ると江戸時代の和歌山城のことがすごい理解しやすいので、是非、みなさん見にきていただければと思います。
わかやま歴史館のHPはコチラ
2025年3月4日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は、シリーズでお伝えしている「和歌山城の知ってるようで知らない歴史」について和歌山城整備企画課 伊津見孝明さんにお話を伺います。
Q 今は市役所の向かいにある「わかやま歴史館」に来ています。わかやま歴史館とはどういった施設かおしえてください。
「わかやま歴史館」といいますのは2015年にオープンしました。和歌山城や紀州徳川家に関係する資料を展示したガイダンス施設になります。当時の和歌山城の姿をVRで再現した映像も放映しておりまして、かつての和歌山城の姿を知ることのできる施設でもあります。
Q 今、現地にいるのですが、まず目につくのが白い和歌山城の模型。これは触ってもいいのですか?
はい、これは触っても大丈夫です。目の不自由な方でも天守閣の形を触ってわかるような工夫がされております。
Q 最初、子供達がこれで楽しめるものなのかなと思っていましたが、目の不自由な方も触ることで、ここに屋根があって、この高さがあって、と体感できるのがいいですね。
そうですね。やっぱり触ることで得られる情報もたくさんあると思いますので、たくさん触っていただいて天守閣の大きさを手のひらで実感していただけたらと思います。
Q そして、その模型からちょっと左手の方に目を向けると、ど〜んと「シアタールーム」がありますね。このシアタールームの見所は何でしょうか?
和歌山城の歴史をこのシアターを見て10分弱の放映ですが知ることができる、加えて専門家によるきちっとした考証を元に和歌山城のかつての姿(櫓や御殿や門や土塀などそういったもの)をVRで再現しておりまして、これを見ることで、今、残っていない和歌山城の建物の姿を知ることができる。そこが見所と思っています。
Q 私も見せていただきましたが、自分がその時代にタイムスリップしたような感じで、和歌山城がすごくかっこいい〜🏯✨って、すごく感動しました。
ありがとうございます。
Q そこから中に入りますとバーンと目につくのが金色に輝く・・・これは何になるのでしょうか?
真ん中に置いてある、ケースの中に入っている金色の印鑑なのですが、これは資料名は「獅子中印」と言いまして親獅子の中に子獅子が入っていて、その子獅子の中に当時藩主が書画を書く時に押印をしていた印鑑の印面が刻まれた正方形の印が収納されるような印鑑になっております。
Q 本当に価値があるって感じがします。じっと見入っていると、この4つの立方体の全ての面が印鑑になってるんですよね。
はい、そうなんです。しかも赤い朱肉の跡がついてるので、おそらく実際にお殿様が使ったものだと思われます。
まだまだお話明日も引き続き、伺っていきます。ありがとうございました。
わかやま歴史館の詳細はコチラをクリック
2025年1月30日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は「和歌山城の知っているようで知らない歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんに伺います。
Q: 前回は石垣の話についてお送りしましたが、今回は和歌山城を取り巻く「堀」についてです。
和歌山城には、大きく現在の和歌山城公園区域を囲む内堀とその北側を流れる市堀川及びそこから派生して伸びていた外堀の2つが存在していました。
Q: 堀もやはり豊臣・桑山期から全て存在していたわけではなく、歴代の城主が徐々に整備していったような感じでしょうか。
そうですね。例えば市堀川は浅野期に完成したと考えられています。
Q: やはり和歌山城の堀は、攻めてきた敵を撃退する事を第一に考えて作られているんでしょうか。
戦時における防御施設だったのはもちろんですが、和歌山城の場合、堀は外部から物資を運ぶ際の水路としても機能していた事が特徴として挙げられます。
Q: 物資を運ぶための水路。という事は、堀の中を船が物資を運んで行き来していたという事でしょうか?
そうです。船から荷揚げがしやすいように、西汀丁隣にあった吹上口と東外堀には雁木と呼ばれる階段が存在していた事がわかっています。
Q: 大奥で暮らしていた女中達の生活用品が、堀を通じて城内に搬入されていたかもしれないですね。
そうですね。堀はどうしても戦時における防御施設として見られがちですが、江戸時代は平和な時代が続きましたから、生活物資を運ぶための水路ということで堀も実用的な使われ方をされるようになったわけです。
Q: 私のイメージが全く変わりました。堀の使われ方からも戦乱の時代から平和の時代への移り変わりが読み取れますね。
和歌山城の堀は、そうした時代の移り変わりを反映したものでもあるのですが、残念ながら明治維新後に都市化に伴って次々と埋め立てられてしまい、今では景観もだいぶ変わってしまいました。今残っている内堀も何度も埋め立ての危機に見舞われているのですが、南方熊楠による反対運動等のおかげでなんとか残ったという経緯があります。
Q: 埋め立てられてきた、というのはどうしてですか?
都市化に伴って大きな街を作っていくという中でお堀が街中にあるとどうしても邪魔になってきたり、水が滞留して、それが悪臭の発生の元になったりして埋め立ててしまおうという話になってくるんです。和歌山城の南側にかつて南堀というお堀もありましたが、そこも結局水が澱んで悪臭が発生していたのでそれを取り除くために埋め立て、今のつつじ園になったという経緯があります。
堀も色々な歴史があるんですね。
2025年1月29日
☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は「和歌山城の知っているようで知らない歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんに伺います。
Q: 前回は天守と紀州徳川家をめぐるエピソードを中心にお送りしましたが、今回は和歌山城の構成要素でももっとも重要な石垣についてという事でお話お願いいたします。
和歌山城ではやはりシンボル的存在である天守に光が当たりがちですが、城内各所に残る石垣もまた大切な文化財です。
Q: 色んな材質の石が見られますよね。
材質でいうと結晶片岩、砂岩、花崗斑岩の3種類が確認されています。
Q: それぞれの石の特徴を教えてください。
結晶片岩は全体的に緑っぽい色をしており、石が横にしか割れないという特徴があります。だから、城内で結晶片岩を積んだ石垣を見ると扁平な石が多いです。
一方、砂岩は灰色っぽい色をしており、結晶片岩と違って石が柔らかく加工がしやすいのが特徴です。最後に、花崗班岩は、主に熊野周辺で採れる石で、全体的に肌色をしています。
Q: 花崗班岩は、主に熊野周辺で採れる、とおっしゃっていたのですが、 他の石はどこから採れるのでしょうか?
結晶片岩は和歌山城の周辺で主に採れる石材です。具体的には岡公園にもかつては採石場があって今でもそこに石を採った痕跡が残されています。
砂岩は主に友ヶ島で採れる石でして、おそらく海で船を使ってこの和歌山城まで切った石を運び込んだと考えられています。
Q: 非常にバラエティに富んだ石で石垣が造られているんですね。また積み方も見ていると色んな形式が見られますよね。
和歌山城では主に自然の石をそのまま積んだ野面積、石の表面や石同士が接する部分のみ加工して積む打込み接ぎ、石と石の間に隙間がないくらい精密加工して積む切り込み接ぎの3種類の積み方が見られます。
Q: 石を積んだ時の隙間のなさ、石垣にカーブがあったり、ピンととんがっていたり、この技術、すごいですよね。
織田信長、豊臣秀吉の時代にはそんな技術というものは、まだ開発されなかったのですが、たくさん信長・秀吉時代に全国で築城がいっぱい行われ、そうした中で技術がどんどんレベルがあがっていって、最終的にはそういった高い石垣も作られるようになったんだろうと考えられています。
Q: 石垣が積まれた時期はだいたいわかるのですか。
結晶片岩の野面積が豊臣・桑山期、砂岩の打ち込み接ぎが浅野期・徳川期、花崗斑岩の切り込み接ぎが徳川期と説明できるのですが、一部例外もあり、今後も研究が必要と考えています。
Q: 当てはまらない石垣だとどこが挙げられますか。
天守台石垣下、今の券売所から先にあるスロープ状の通路を支える石垣ですね。幕末に築かれた石垣ですが、ここは結晶片岩の切り込み接ぎのような、石をきれいに加工して隙間なく積んでいるという特徴があります。
また、和歌山城に行った時の楽しみが増えました。
2024年11月13日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回も昨日に引き続き、和歌山城の北堀で9月に「緊急 SOS!池の水をぜんぶ抜く大作戦」のロケを行うきっかけを作った高校2年生の三林幸之助さんと、ロケにも立ち会った和歌山城整備企画課 学芸員の伊津見さんにお話を伺います。
Q 三林さん水が抜かれた堀に入ってみていかがでしたか?
田植えしてるような感覚で歩きました。
Q 普段、お堀の中を歩くことができないですが、どうでしたか?
400年誰も入っていないような堀に自分が入れるのか、という興奮はありました。
Q お目当てのものはありましたか?
予想以上の瓦が大量に落ちていて、刻印もいっぱい石垣に彫られていて興奮しながら見てたのですが、徳川家の三つ葉葵の瓦がなかったのはちょっと残念でした。
Q 楽しかったですか?
楽しい、と興奮が混じりあって時間を忘れていました。
Q 伊津見さん、いろいろなものが落ちていたという事ですが、どんなものがありましたか?
瓦が大量に落ちていたということがわかりまして、軒丸瓦、軒平瓦と種類がわかれるのですが、どちらかというと軒丸瓦、丸い瓦の方が数が多かったです。
それと石垣に刻まれた刻印。普段、水面下に隠れて見れないので今回水を抜くことで石垣の本当の底の部分まで刻印がびっしりと刻まれていたというのが、今回初めてわかりました。
Q そういうのは全て写真を撮られたのですか?
ロケ日の時も含めて三日間かけて、実はずっと堀の中に入って、写真を撮りながらぐるっと回って調査をしておりました。歴史的な瞬間じゃないですけれど、そういった貴重な機会に立ち会えたってことは非常に喜ばしいことだと思っています。
Q 今、目の前に瓦があるのですが、これはやはり珍しいものなのですか?
瓦自体は大体どこのお城でも見つかるのですが、貴重な発見となったのは、割れずに完全な形で残っている状態の瓦が2体出てきたということです。どこかしら欠けていたり、割れていたりして出てくるのが普通なのですが、今回、堀の中で見つかったいくつかの瓦の中の2体だけは綺麗な形で割れずに残っていた、ということで、これは珍しいです。
Q この模様は何か意味があるのでしょうか?
巴紋という紋が入っているのですが、これは家紋ではなくて一般的な江戸時代の日本の住宅に葺かれている瓦で使われている紋様です。時代差はいろいろあって紋様の周りを囲っている丸の「宝珠」といわれる珠の部分の間隔が短かったら江戸時代後期とか、それが薄かったり間が広がっていたりしたら江戸時代の中期前期という風に、微妙な時代差は見て取れます。
Q 三林さん、今回のこの経験を今後どんな風に活かしていきたいとか、新たな目標見えましたか?
城の研究としてる学芸員さんを間近に見て、自分もこんな研究とかしてみたいなとい気持ちにはなりました。社会科も全般的に好きなので社会の面白さを子どもたちに伝えることができたらな、と思って、教員免許とかも取りたいなと思っています。
一つの声から大きな夢につながりました。
今日は三林幸之助さん、そして学芸員の伊津見さんにお話伺いました。ありがとうございました。
2024年11月12日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は、和歌山城の北堀で9月に「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」のロケを行うきっかけを作った高校2年生の三林幸之助さん、ロケにも立ち会った和歌山城整備企画課、学芸員の伊津見さんにお話を伺います。
Q 9月に和歌山城の北堀の水を抜くロケが行われましたが、三林さんがきっかけだと聞きました。どんなきっかけがあったのですか?
和歌山城の西の丸庭園の池がとても汚くて綺麗になって欲しいな、と思った気持ちから発案するに至りました。
Q 伊津見さん、西の丸庭園の水が綺麗になったらいいな〜という声から今回に至るまでの間に何があったのですか?
2023年1月9日に和歌山城ホールで「未来の和歌山城を考えるシンポジウム」というイベントをしました。お城の専門家の千田嘉博先生や著名な先生方も呼ばれて、この先の和歌山城をどうしていったら良いだろうかという話をみんなでしました。そのシンポジウムの最後のほうで一般の方からの質問受付をしていた時に手を挙げたのが三林君で「池の水 ぜんぶ抜く」の誘致できないでしょうか?と言われて、市長も検討して、我々和歌山城整備企画課の方でその番組誘致に向けて動き始め、その結果、番組ロケにつながった、というのが大体の流れです。
Q 三林君のこの一言からロケに至るまでの期間はどれくらいだったのですか?
1年半ほどかかっています。
Q 1年半後に三林君のところにこのロケのお知らせがあった、ということで、その時の気持ちはいかがでしたか?
嘘でしょという困惑というか、現実なのかなと疑う感じでした。
Q 1年半前に言った自分の声が実現すると思ってましたか?
思っていませんでした。
Q もともと、和歌山城や歴史は好きだったのですか?
はい。小学4年生の頃から和歌山城がきっかけでお城がどんどん好きになっていって、今でもお城が好きです。
Q こうやって和歌山城が大好きな、この一声でこのロケが実現しましたが、実際に伊津見さんはこの堀の水を抜くと聞いた時、どんな思いでしたか?
ついにあの番組が来るんだなという事で驚いたというか感慨深くなった、という事と、これを実際に実現していくにはいろんな手続き等が必要でしたので、例えば和歌山城は国の史跡ですから文化庁に対してこういった事業をしてもよろしいかというお伺いも出して、そういった書類上の手続きを進めて実現に至ったというのが流れです。
Q お堀の水が抜かれることによって歴史的な観点からの興味はありましたか?
私個人としてはお堀の中には瓦やそういった遺物は落ちているだろうと予測はしていましたので、そういったものを観察する機会ができるのはいいかな、と。そして石垣が普段水面下に隠れて見えない石垣も今回観察ができるぞ、ということで期待はしておりました。
明日も引き続きお話を伺っていきます。