9/16放送 知ってるようで知らない和歌山城の歴史「岡口門」

2026年9月16日

☆本日の放送はこちらからお聴きいただけます☆

「知ってるようで知らない和歌山城の歴史」について、和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話を伺います。


Q. 今、私たちは岡公園の近く和歌山城の南側の「岡口門」の前に来ております。もう有名な門ですよね。
そうですね。写真とかでも紹介されることが多い門なので、ご存知の方も多いんじゃないかなと思います。

Q 今、伊津見さんが写真なんかでも紹介されることが多いというふうにおっしゃったんですが、それはこの形が珍しいからですか。それとも由来が何かあるのですか。
実は今、私たちがいる位置からもう少し引いたところで写真撮ると、天守閣と岡口門がセットで撮れるんです。だから、それで撮影スポットとして有名なのかなというふうに見てます。

Q なるほど。門と天守閣が見れるってなかなか風情ありますよね。
よそのお城と比較してもですね、そういったお城って少ないんじゃないかなと思います。

Q この岡口門はどんな門になるんですか?
これは門の上に平屋の建物が乗っかっている櫓門という形式のものになります。
作られたのは、徳川頼宣が和歌山に入ってきて、紀州徳川家が成立してから以降と言われておりまして、今、私たちが見ているこの建物は徳川時代の建物になります。

ただ、門としては、豊臣秀長がこの和歌山城を造った時に、ここを追手門お城の正門として見立てて、門を作っておりまして、実は豊臣秀長の頃の和歌山城の正式な門というのは、実はこの「岡口門」だったということになります。

Q 秀長が建てたその門の上に、徳川の時代になってこの櫓がつけられたって感じでしょうか。
はい、その解釈で大丈夫です。

Q この櫓、窓があるんですが、そこから監視してたんですか?
実際には中に厚い木の板戸が入ってまして、監視してたのかもしれないんですけども、普段ここは常駐してませんでしたので、もしかしたら閉めっぱなしの状態だった可能性もあります。

Q 他に私たちが知らないだろうなというような情報はありますか?
門の扉に注目していただきたいんですけども、扉の半分は板でガードされているのですが、上は格子戸みたいになってます。 上が格子戸になっているということは、この柱と柱の隙間から、鉄砲とか弓を出して攻撃ができるようになってます。

下は板でガードされているので、外から攻撃されてもこっちは影響を受けませんから、防御に適した、非常に実戦を意識した門であるということがわかります。

Q なるほどね。もう本当に大きな門で、この木もすごい厚いんですが、これも当時のままなんでしょうか。
これは当時のままになります。一部修理はしてますけれども基本的には当時の部材を使っている、残っているということになります。

Q こうやって門の下に立ちますと、昔、高い大きなものを運んでいたんだなって思いますね。
そうですね幕末に天守を再建する時もここから木材を搬入したという記録が残っていますので、やはりそれだけの大きなものを運び込めることを設計して、意識して作られた門だったんだろうと思います。

では、明日はこの岡口門から入った場所にまた秘密がある、ということですのでそちらに伺います。

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