和歌山市のゲンキな情報をお伝えします!
「ゲンキ 和歌山市」は和歌山市のイベントや旬な話題・情報、
そして和歌山市をゲンキにするために頑張っている市民の方々にスポットをあて、
月曜日から金曜日の朝、お伝えします。
2024年9月4日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は「和歌山城の知っているようで知らない歴史」について和歌山城整備企画課 伊津見孝明さんにお話を伺います。
前回までのお話は・・・
豊臣秀長が和歌山城を築城し、家臣の桑山重晴が和歌山城の城代を務めた後、豊臣家と非常に近い存在だった浅野幸長が和歌山城主になり、その時に和歌山城は大規模な増改築が行われる。というお話でした。
Q その後の歴史、気になります。教えてください。
浅野家の次に入ってくるのが徳川御三家のひとつ、紀州徳川家でありまして、初代が徳川家康の10番目の息子である徳川頼宣になります。
この頼宣は家康に非常にかわいがられてまして、子供の時はすでに茨城県の水戸藩主や静岡県の駿府藩主などを経験して1619年から紀州藩55万5千石を与えられて紀州藩主になりました。
Q 頼宣の時の和歌山城の様子はどんな感じだったのでしょうか?
二の丸の西側と、砂の丸と南の丸が増築されて、ようやく今の和歌山城の姿が完成しました。
Q 砂の丸は今はグラウンドや護国神社の敷地になっています。南の丸は今は動物園になっていますが、江戸時代はどのように使われていたのでしょうか?
これについてはあまり記録がないのでよくわかっていませんが、絵図を見ると、基本的には蔵が複数存在し、広大な空き地になっていたようです。
Q 砂の丸はあのNHKのブラタモリでもとりあげられていましたね。
元々、砂の丸があった辺りは、南から伸びている吹上砂丘の一部でしたので、それの影響で「砂の丸」と名付けられたと言われています。タモリさんも地形が好きな方なので結構この話には興味を示しておりました。
全国のお城でもこの名前が付いた郭(スペース)が存在するお城は和歌山城だけになります。
Q この辺りが砂丘だったというところに驚きを隠せないのですが、この辺りも詳しく教えてください。
当時はお城の南側から吹上砂丘という虎伏山にぶつかって北西側に続いていたのですが、この吹上砂丘の上に砂の丸がつながっていまして、それで砂の丸という名前がつけられたと言われています。
Q 続いては南の方に行きます。和歌山城の南に三年坂通りがありますが、それも頼宣の時にできたのでしょうか?
もともと砂の丸と吹上砂丘はつながっていたのですが、頼宣の時に南から砂丘を通じて敵が攻めてきたケースを想定して、防ぐために今の三年坂のところを切り通りにして、巨大な空堀のような形にして、結果、三年坂が誕生したという流れになります。
史跡和歌山城のホームページはコチラ
明日も引き続きお話を伺います。
「知ってそうで知らない和歌山城の歴史」過去放送分はコチラ
1. 7月30日放送「豊臣・桑山時代」
2. 7月31日放送「浅野期」
2024年8月29日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回も昨日に引き続き、和歌山市がまちなかに大学を誘致し、平成30年に開校した「東京医療保健大学 和歌山看護学部」について、准教授の吉村公一先生と3回生の柑本奈保さんにお話を伺います。
Q 柑本さん、キャンパスライフはどのように過ごされているのかお聞きしたいのですが、勉強以外に取り組まれていることはあれば教えてください。
ダンス部に所属していて学園祭や地域のイベント、他大学のイベントで披露させていただきました。ダンスを覚えるのは苦手で時間もかかりますが、友達と協力して、本番に向けて作品を作り上げていくのはとても楽しいです。
また、看護学生交流会運営委員会という委員会にも所属しました。和歌山県下の看護学生が交流する機会を持つために年に1回「看護学生フォーラム」を開催するにあたり、各校と協力して運営を行います。この活動を通して意見をまとめる力を身につけられましたし、人前で話すことに対するハードルが低くなったなと感じています。
Q この学校に入って良かったことはありますか?
県下唯一養護教諭第一種の免許が取れることがやっぱり魅力的だと思います。
また、3年生からは日赤キャンパスに通っているので医療現場の雰囲気を間近に感じ、身が引き締まる思いで毎日講義を受けることができています。
Q 吉村先生は大学の教育やカリキュラムについて、特色や力をいれていることはありますか?
和歌山看護学部特有のカリキュラムとして和歌山県を理解するために和歌山学という科目があります。看護職となるための知識や技術を習得することはもちろん、人として成長できるよう教養科目も充実しています。
Q 先生と生徒との交流の機会は多いですか?
交流は多いと思います。話しやすい雰囲気を持った個性豊かな先生が多いので授業時間に限らず気楽に交流することができます。
領域実習が始まるとより密接に関わる機会も増えると思うので、実習に対して不安はありますが、心強さもあります。
Q 最後に市民の皆さんに向けて、メッセージをお願いします。
11月に「医大祭」があります。医大祭では楽しいイベントをたくさん企画していますので、みなさん是非お越しください。楽しい時間を一緒に過ごせたらと思います。
高校生の方には9月の「1日体験入学」に参加していただき10月からの入試に向けて頑張ってください。
是非、4月からみなさんと一緒に勉強できることを楽しみしています。
入試の詳細は本学のホームページをご覧ください。
和歌山看護学部は交通の便が良く、周囲には探せば意外とすてきなお店がたくさんあって、アルバイト先を探すことや、友達と息抜きをすることができる恵まれた環境にあるので、勉強だけでなく充実した大学生活を送ることができます。
11月2日、3日にある「医大祭」はダンス部や軽音学部の発表やキッチンカーの出店、小さい子が楽しめる宝探しなどもあるので、看護師になりたい方や養護教諭に興味のある方は特に実際に東京医療保険大学の雰囲気を感じてもらえたらな、と思います。
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2024年8月28日
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今回は、和歌山市がまちなかに大学を誘致し、平成30年に開校した「東京医療保健大学 和歌山看護学部」について、准教授の吉村公一先生と学生の柑本奈保さんにお話を伺います。
Q 東京医療保健大学 和歌山看護学部は、平成30年4月に開校したとのことですが、キャンパスはどちらにありますか?
キャンパスは和歌山市内に雄湊キャンパスと日赤和歌山医療センターキャンパスと2つあります。
雄湊キャンパスは1、2年生が、日赤キャンパスは3、4年生と大学院生が使用するキャンパスとなっています。
Q 東京医療保健大学という名前のとおり、もともとは東京にあった大学が、和歌山市にも学部を開講したということなのでしょうか?
東京医療保健大学は東京に医療保健学部、東が丘看護学部、立川看護学部があり、2018年に千葉看護学部と和歌山看護学部が誕生しました。
和歌山看護学部は和歌山県和歌山市日本赤十字社和歌山医療センターと東京医療保健大学の両者の連携により誕生しました。
そして、今は和歌山看護学研究科大学院もあり学部生と大学院生が日々がんばっています。
Q 和歌山看護学部では、どのようなことを学ぶことができますか?
看護師を養成する大学ですが、保健師や養護教諭になるためのカリキュラムが組まれています。
和歌山看護学部を卒業後、和歌山助産学専攻科に進学することもできます。看護師や保健師、助産師そして学校の保健室の先生として活躍している卒業生がたくさんいます。
Q 先生はどの学部に所属されていて、どんな研究や勉強をされていますか?
看護学部に所属しておりまして、心の看護を学ぶ精神看護学領域の教員として学生さん達と一緒に勉強しています。研究は精神障害者の方がその人らしく地域生活できるための支援について取り組んでいます。
Q 学生の柑本さんは何年生ですか?
私は3年生です。
Q こちらでどんな勉強をされていますか?
看護師になるための勉強と養護教諭一種の免許を取るために日々勉強しています。今は9月からの病院実習に向けて対象の方を多方面から捉えるための思考やプロセスを学んでいます。それをもとに必要な看護を導いて実際にケアを提供する計画の立て方についても学んでいます。
1年生、2年生で学んできたことを統合させながら、今はより専門的な学びをしているな、と感じています。
Q 柑本さんは元々和歌山の方ですか?
和歌山出身です。
Q 看護師になりたいな、と思ったのはいつでしたか?
高校2年生の頃に救急車に乗ることがあって、その時に出会った看護師さんが優しくて、かっこよくて素敵だな、と思ったので興味を持ちました。
Q こうやって看護学部が和歌山に増えて、選択肢が増えてうれしかったですか?
はい、嬉しかったです。
明日も引き続きお話伺っていきます。
2024年8月22日
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今日も昨日に引き続き、和歌の浦を代表する名所である玉津島神社について権禰宜の遠北(あちきた)喜美代さんにお話しをお伺いします。
Q 玉津島神社に足を踏み入れて、パッと見てビックリしたというか、目を惹かれたのが「ウサギ」。「ウサギ」との関わりをおしえてください。
「ウサギ」は玉津島神社の御祭神のうちの2番目に祀られた神功皇后様と関係しています。
神功皇后様は大変武勇に優れた方で船で出兵されるのですが、稚日女様にお参りされていきますと、必ず戦に勝利を収め、行き来の航海の安全ということで崇拝されておりました。その亡くなられた後、この玉津島神社に合祀されまして、合祀された日が卯の年、卯の月ということで「ウサギ」は神功皇后の所以でございます。
Q こうやって玉津島神社にウサギを置き出したのはその頃からですか?
お守りやおみくじは置いていたのですが、最近卯年がありまして、その時にみなさまに知っていただこう、ということで拝殿の両脇に張り子のウサギを置きました。皆さん興味を持っていただけまして、今は卯年ではないのですが、「どうしてウサギですか?」と聞いていただいて、ウサギと神社の関係を皆様にお伝えできる良いチャンスをいただいております。
Q 他にも見所あるかと思うのですが・・
まずは和歌に関連するのですが、中央の鳥居を入っていただくと両脇に赤い塀があります。これは小野小町袖掛の塀というのですが、小野小町も和歌の達人でいらっしゃって衣通姫(そとおりひめ)様を慕いお参りされて、その袖にかけて和歌を詠まれたという謂れがございます。
奥へ入ってきていただけますと「根上り松」という大きな曲がった松があります。昔、玉津島神社に社殿も何もなかった時代に和歌信仰がありまして、その根上り松に和歌を上達させるために都からお参りされた歴史があります。その松は今はないのですが、その由来で根上り松は置いてございます。
後は正面に拝殿がございますが、その中には三十六歌仙がありますので、またおっしゃっていただけましたらご案内させていただきます。
万葉のお花もたくさん植えていまして、季節ごとで咲いてる花は違いますが、これもお楽しみいただけたら嬉しく思います。
Q 風鈴もたくさんありますね。
一昨年からずっと始めているのですが、お参り来ていただいた方にお願い事を書いていただいてかけていただいております。
Q この風鈴はいつまで飾られていますか?
8月31日まで飾っておりますので、是非みなさんお越しいただきまして、風鈴にかけてください。
Q では、最後にラジオをお聞きの皆さんに一言メッセージをお願いします。
玉津島神社はお花もたくさんあって、優しい神社でございますので、是非足をお運びいただいて、気持ちを安らかに、和んでいただけたらと思います。
2024年8月21日
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今回は、玉津島神社について権禰宜の遠北(あちきた)喜美代さんにお話しをお伺いします。
Q 玉津島神社は和歌山を代表する観光地や御祈祷などで馴染みがある神社です。いつごろ、どんなことがきっかけで誕生した神社なんでしょうか?
玉津島信仰の創立は極めて古く、上古という「上つ世」といわれております、祀られている一番古い神様が稚日女尊(わかひるめのみこと)様で天照大神様の妹神とされております。
Q 誕生してここに来るまでも色々な方が訪れられてますよね。
この辺は景色が綺麗であるということから和歌に詠まれた土地柄でございまして、和歌上達のために、まず平安時代には藤原定家一門、天皇貴族、文人墨客。
中世においても有名な僧侶や武家の方。
江戸時代になりましたら、徳川頼宣公のお殿様や、(豊臣)秀吉ももちろん来られてます。
近代になりますと、小説家の方とかがたくさん来社しております。
Q やはりそれは玉津島神社のある所の景色が大きいのでしょうか。
和歌に詠まれるということで、玉津島神社には三柱の女神様がお祀りされてまして、まず稚日女尊(わかひるめのみこと)様、応神天皇様、そして最後に衣通姫尊(そとおりひめのみこと)様。この方がとても和歌が上手で、この方が祀られたことによって和歌の聖地となりまして、歌人の方々はこぞって和歌上達のために玉津島詣をなされてきました。
Q こちらの景色、本当に風情がありますよね。
昔から干潟が特色でございまして、昔はこのように整備されていなく、満潮になりますと玉津島神社周辺はずっと潮がさしてきまして、干潮になりますと干潟が現れて、という景色でございます。
この辺には玉津島六山といいまして小さな小山が六っつありまして、潮が差してきますと海中に山の頭が玉のように浮かんでいることから(玉は神様という意味があるそうで)、神様がいらっしゃる土地として、この辺崇められてきたその景色がとても綺麗だ、ということで和歌に詠まれてきました。
Q その景色は今でも見ることができるのですか?
今は開発がありまして、潮がここまで満ちてくることはありませんし、見えることはないです。
ただ、聖武天皇が1300年前に行幸で玉津島行幸された時に、玉津島神社の背後にある奠供山(御供物という意味の名前)に終日、山の上から海の満ち引きの景色を見られて、その景色と今は少し違うのですが、自然は残っておりますので十分楽しんでいただけます。
明日も引き続きお話を伺います。
2024年8月15日
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今回は、昨日に引き続き、韓国の済州島で行われた「済州国際観光マラソン」に、和歌山市派遣団として参加され、ハーフマラソンの部で3位に入賞された、三浦雄亮さんにお話を伺います。
Q: マラソン大会には、よく参加されるのですか?
コロナ禍では大会自体が中止で出られていませんでしたが、それ以前は毎年フルマラソン含め数回は参加してきました。済州島への派遣は、マラソンランナーとして私が目標にしてきたことのひとつだったので、叶えることができてうれしく思っています。
Q: マラソンは、小さい頃から好きだったのですか?
中学生の時の陸上部で短距離種目をやっていまして、マラソンをはじめたのは社会人になってからです。25歳の時に市民ランナーとして初めて出た大会もジャズマラソンでした。ハーフマラソンでいえば今より30分以上遅かったと思いますが、一緒に切磋琢磨できる仲間と出会える縁があって、ここまで記録を伸ばすことができています。
Q: 日々トレーニングをされているのですか?
今朝も走ってきたのですが、平日は出勤前に10キロ程度走り、週末は仲間と集まって、少しきつめのペース走やロング走をしたりしています。
Q: 和歌山ジャズマラソンは、何度も出られているのでしょうか? 今年も出場されますか?
何度も走っていますし、今年も是非、出たいなとは思っています。去年初めて親子の部で小学生の長女と一緒に走ったので、今年は今、年長の次女もいるので、一緒に妻も誘って家族みんなで走りたいなと思っています。
今度は済州市の選手もジャズマラソンを走りに来られると聞いているので、交流もしたいと思っています。
Q: どんどん広がりますね。マラソンの魅力や、和歌山ジャズマラソンの魅力を教えて下さい。
ジャズマラソンでいうと県内で一番大きい大会ですし、私にとっては地元なので特別な大会です。
また、ファミリーランの部もありますので家族で参加できるところも良いと思っています。
コース自体は公認コースなのですが、記録が狙いやすいとは言えません。きついところがあったり、坂があったりするのですが、運営がしっかりされていますので安心してできる大会だと思います。
Q 音楽と景色、色々なものも楽しめますよね。
景品も豪華になっていると聞いていますので楽しみです。
今年も和歌山ジャズマラソンが、11月10日(日曜日)に開催されます。
エントリー受付は9月2日(月曜日)まで。
インターネットやローソンのLoppiでエントリーができます。ぜひ、みなさんもご参加をお願いします。
ジャズマラソンの詳細はこちらをクリック
2024年8月14日
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今回は、韓国の済州島で行われた「済州国際観光マラソン」に、和歌山市派遣団として参加され、ハーフマラソンの部で3位に入賞された、三浦雄亮さんにお話を伺います。
この派遣事業は、和歌山市と姉妹都市である韓国済州市との「両市民ランナーを互いに大会に派遣することにより交流を深め、スポーツを通じて友好親善を図ろう。」という目的で2003年から始まったもので、今回で17回目となるそうです。
Q:今回は、どういった経緯で、韓国の済州(チェジュ)国際観光マラソンに参加することになったのですか?
和歌山市民または和歌山市内で勤務されている人の中で、昨年のジャズマラソンで成績上位の人が派遣対象となるとのことで、私は10kmの部に出場し、総合7位だったのですが、対象者の中では1位だったので、選出していただきました。
Q:何人で参加されたのですか?
ハーフマラソンの部と10kmの部の男女それぞれ1名ずつが選ばれたので、4名で参加しました。
Q:今までに海外のマラソンの参加されたことありますか?
私は今回が初めてでしたが、お祭りしょくがとても強いと感じました。運営側の盛り上げ方とか参加者の反応は、日本のマラソン大会では見たことがないくらいの盛り上がりようで、また、良い意味でも悪い意味でも大らかというか、スタート時間になってもランナーが整列していなくて、スタート時間が2分ほど遅れるなどあったのですが、これも日本では経験がないことでした。
Q:日本のマラソン大会と比べて違う点、他にもありますか?
お祭りという感じで、ブースもたくさんあり、副賞も大変豪華で、おもてなしもしっかりしていると感じました。商品券も結構高額なものでスポンサーさんのスポーツ用品をいただける商品券をいただきました。
Q:和歌山市と韓国の済州市との交流のために行かれたとのことですが、交流は図れましたか?
済州市役所の方や現地ガイドさんに本当に親切にしていただき、たくさんのおもてなしをいただきました。
前日のレセプションで済州市のカン市長に激励をいただきましたし、レースの翌日には市長室で結果報告をしてきました。カン市長は穏やかでとてもやさしい人でしたし、和歌山市のことを大切に思ってくれているのが伝わり、市どうし良い関係が築けているなと感じました。市長とは今度家族旅行で来ます、と約束をしてきました。
ありがとうございました。明日も引き続きお話伺います。
2024年7月31日
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昨日に引き続き和歌山市市民が知っているようで知らない「和歌山城の歴史」について和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q:昨日は豊臣秀長が和歌山城を築城し、家臣の桑山重晴が和歌山城の城代を務めたというところがメインでした。その後の歴史はどうなっていくのでしょうか?
秀長の城代であった桑山重晴は、文禄4年(1595)に大名として独立して和歌山城主になりますが、関ヶ原の合戦後に隣の和泉国(大阪府岬町辺り)に領地を与えられて和歌山城を離れます。その代わりに和歌山城には浅野幸長(よしなが)が紀伊国37万石の大名として入ってきます。
Q:浅野幸長はどのような人物なのですか?
幸長は豊臣政権で主に司法行政を担当していた浅野長政の息子で、豊臣秀吉の正室北政所(おね)の甥にあたる人物です。当時豊臣家とは非常に近い存在でした。
Q:浅野幸長が和歌山城主になった時に城に大きな変化はあったのですか?
この時期に和歌山城は大規模な増改築が行われます。
虎伏山の北麓に幸長が住むための「御屋敷」が構えられ、これがのちに 二の丸の原型になります。この他、西の丸庭園などもある西の丸も造成されています。
Q:その他和歌山城に見られる大きな変化はありますか?
今、見られる連立式天守が建てられた点が挙げられます。現在の天守は漆喰塗りの白い外観ですが、幸長が建てた天守は板張りの黒い外観をしていました。今と全く真逆の外観をしていた、ということです。
Q:浅野期の和歌山城に関するエピソードが何かあれば教えてください。
(虎伏山の北側)今の西之丸庭園の南側に石垣に囲まれた鶴の渓と呼ばれているエリアがあります。この名前の由来は浅野期にここで鶴が飼育されていたという伝承に由来しています。
実際、江戸時代後期に鶴の餌鉢として利用された石の容器が置かれていた、ということがわかっています。
その餌鉢は今も天守の台所に展示されています。天守閣は小天守から入ってぐるっと一周して外に出るようになっているのですが、その最後の出口があるところが台所で、台所まで辿り着いたら鶴の餌鉢を置いてありますので見ることはできます。
Q:浅野期の和歌山城の名残が見られる場所が他にあれば教えてください。
当時の建造物は残っていませんが、浅野期に積まれた石垣は城内各所に今も残っています。新裏坂辺りや西の丸西側の石垣(駐輪場の向い側)が該当します。
また、不定期にはなりますが「和歌山城の歴史」に迫るコーナーをお届けします。是非、お楽しみにしていてください。
「和歌山城の知ってそうで知らない歴史」過去放送分はコチラ🔽
1. 7月30日放送「豊臣・桑山時代」
2024年7月30日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
今回は和歌山市市民が知っているようで知らない「和歌山城の歴史」についてシリーズで和歌山城整備企画課の伊津見孝明さんにお話伺います。
Q: 今回はどの時代のお話を聞かせていただけますか?
関ヶ原の戦いの前の豊臣・桑山時代の話をしたいと思います。
Q: 和歌山城と言えば 徳川吉宗というイメージがあるのですが、実際は違うのですね。
和歌山城はいつ頃誰によって築かれたのですか?
和歌山城は天正13年(1585)に羽柴(のちの豊臣)秀吉が弟の秀長に命令して築かせました。当時は虎伏山の山頂と山の南東側で構成された今より規模の小さな城でした。
Q: 和歌山城が築かれた背景には何があったのでしょうか。
和歌山城が築かれる前、戦国時代の和歌山市一帯は雑賀衆という自治集団が治めていましたが、雑賀衆は秀吉と敵対していました。天正13年に秀吉は大軍を率いて雑賀衆を滅ぼしますが、秀吉はこうした敵対勢力への自分の権力の誇示、そしてこの後に控えていた四国攻めの拠点とすべく和歌山城を築いたと考えられています。
Q: 当時の和歌山城にも天守閣はあったのでしょうか。
秀長による築城時に天守閣が存在したかどうかは史料が存在しないため、よくわかっていません。
Q: 築城にまつわるエピソードとして何かありますか?
城内、特に虎伏山山頂の天守郭や本丸の石垣には、五輪塔やお寺の柱の礎石といった転用石がはめ込まれている箇所があります。これは、築城を当時急いでいたため和歌山城周辺の寺院から墓石等をかき集めて石垣用の石材として利用したからだと考えられています。
Q: 豊臣秀長はずっと和歌山城主だったのですか?
いいえ、実は築城されたその年には秀長は大和国(奈良県)の郡山城に居城を移したため、和歌山城に本人がいたのは実質4か月程度です。ただし、所有権はあくまで秀長にあり、和歌山城には家臣の桑山重晴が城代として派遣されていました。
Q: 今の和歌山城で築城当時の面影が見られる場所はありますか。
和歌山城は秀長以降、桑山、浅野、徳川と城主が変わっていく中で、改築が進んだので、築城当時の面影が残されている箇所は限られています。
基本的には天守閣の下の石垣や、虎伏山下の伏虎像後ろの石垣が野面積という石をそのまま加工せず積んでいるのですが、これが築城当時の石垣と考えられるため、もし興味のある方は見に来られてください。
次回は、関ヶ原の戦いの後、紀伊の国を与えられた浅野氏についてご紹介します。
さらに詳しく和歌山城について知りたい方は、和歌山城ホームページをご覧下さい。http://wakayamajo.jp/index.html
2024年7月18日
☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆
昨日に引き続き、和歌浦天満宮について、和歌浦天満宮 宮司の小板政規さんにお話を伺います。
Q 和歌浦天満宮の建物も歴史を感じますよね。再建された本殿、楼門などは国の需要文化財にも指定されているということですが、どんな特徴がありますか?
和歌山の方はあまりびっくりされないのですが、他府県の方から「えっ!」といわれるのですが、ほぼ97%、100%と言ってもいいくらい和歌山特有の青石を使って高い石垣の上に立つ楼門を見て、他府県からきた方や、海外の方も英語で”Amazing!!”と言われるのを聞きます。
楼門から見えるのは紀南に続く山々、太平洋に続く和歌浦湾で、夏には海風がそよぎます。あと、彫り物や設計を行ったのは岩出市根来出身の方で、後に江戸に渡って作事方(さじかた)大棟梁という、今でいう建設大臣の第一号に任命された方が最初に手掛けた物件だとされています。
Q 他にも見所はあるのでしょうか?
元々天満宮が立つ前、平安時代より前に本殿の横に山道があるのですが、そこを少し行ったところに天照皇大御神と豊受大神・多賀大社・白山比め神社を祀っているのですが、今も石碑があります。
Q 今年の7月24日(水)、25日(木)には毎年恒例の天神祭がありますよね。どんなお祭りなのか教えてください。
祇園祭とすごく関係があります。京都の祇園祭は7月1日から31日間あります。山鉾とか有名なのですが、あくまで巡行であり、御神輿がでたり、花笠巡行とか色々なお祭りが行われます。それは疫病をおさえるための京都の市民の御祭なんです。
疫病は悪い神がもたらすと信仰され、それをおさえる、より強力な神様が必要と持ち出されたのが日本の歴史史上で最強の怨霊神である天神様。その天神さまが持ちいられて悪霊を祓ってくれるのが天神祭だと伝わっています。
Q この天神祭、毎年、決まった日に行われているのですよね。
2月25日に亡くなっています。そして生まれたのが6月25日、ということで25日が天神様の日とされております。ついたちと25日にお祭りをしています。月次祭といってお供物をして皆さんの健康と平安を1000年間祈り続けています。
Q 最後に市民の皆さんに小板さんの思いをお願いします。
和歌山には何もないではなくて今一度色々な歴史を振り返って発掘して、皆さんと他府県から来てもらえるような町づくりを一緒にしていきたいと思っています。
で、讒言によって道真公が亡くなったのですが今でも正直な者を助けてくれる神様であります。
和歌浦天満宮の天神祭は
7月24日(水)宵宮は午後6時から
7月25日(木)は午前11時半から開催されます。
是非、みなさんお揃いでお出かけください。