8/21放送 玉津島神社①

2024年8月21日

☆今日の放送はこちらからお聴きいただけます☆

今回は、玉津島神社について権禰宜の遠北(あちきた)喜美代さんにお話しをお伺いします。

Q 玉津島神社は和歌山を代表する観光地や御祈祷などで馴染みがある神社です。いつごろ、どんなことがきっかけで誕生した神社なんでしょうか?
玉津島信仰の創立は極めて古く、上古という「上つ世」といわれております、祀られている一番古い神様が稚日女尊(わかひるめのみこと)様で天照大神様の妹神とされております。

Q 誕生してここに来るまでも色々な方が訪れられてますよね。
この辺は景色が綺麗であるということから和歌に詠まれた土地柄でございまして、和歌上達のために、まず平安時代には藤原定家一門、天皇貴族、文人墨客。
中世においても有名な僧侶や武家の方。
江戸時代になりましたら、徳川頼宣公のお殿様や、(豊臣)秀吉ももちろん来られてます。
近代になりますと、小説家の方とかがたくさん来社しております。

Q やはりそれは玉津島神社のある所の景色が大きいのでしょうか。
和歌に詠まれるということで、玉津島神社には三柱の女神様がお祀りされてまして、まず稚日女尊(わかひるめのみこと)様、応神天皇様、そして最後に衣通姫尊(そとおりひめのみこと)様。この方がとても和歌が上手で、この方が祀られたことによって和歌の聖地となりまして、歌人の方々はこぞって和歌上達のために玉津島詣をなされてきました。

Q こちらの景色、本当に風情がありますよね。
昔から干潟が特色でございまして、昔はこのように整備されていなく、満潮になりますと玉津島神社周辺はずっと潮がさしてきまして、干潮になりますと干潟が現れて、という景色でございます。
この辺には玉津島六山といいまして小さな小山が六っつありまして、潮が差してきますと海中に山の頭が玉のように浮かんでいることから(玉は神様という意味があるそうで)、神様がいらっしゃる土地として、この辺崇められてきたその景色がとても綺麗だ、ということで和歌に詠まれてきました。

Q その景色は今でも見ることができるのですか?
今は開発がありまして、潮がここまで満ちてくることはありませんし、見えることはないです。
ただ、聖武天皇が1300年前に行幸で玉津島行幸された時に、玉津島神社の背後にある奠供山(御供物という意味の名前)に終日、山の上から海の満ち引きの景色を見られて、その景色と今は少し違うのですが、自然は残っておりますので十分楽しんでいただけます。

明日も引き続きお話を伺います。

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